南インドから戻ってきました。インド第3の都会チャンナイ(旧マドラス)から150キロ前後南下。何とタクシーで3時間半。オーロビィル(Auroville)という街で2週間暮らしました。
オーロビィルには大ヒットしたハリウッド映画『未知との遭遇』で撮影現場の一つだった瞑想ホール”マトリ・マンディール”があり、そのホールを核とした巨大なコミュニティー。前半はインド初のアイチ養成の会場となった海岸沿いのヒーリングセンター。後半は知人宅(ヨーロッパ人)で暮らしました。この街はインド独立運動のリーダーの一人、オーロビンド・コーシュといる哲学者と後継者ミッラ・アルファッサ(フランス人女性)とが建設した街。ヨガと瞑想の”聖地”とのこと。住人の半数はヨーロッパ人か…と思えるほど白人が多い。だから日本で想像していたインドのイメージではない。が、想像していた通りイヤそれ以上にインドは全くフリーでストレスのない別世界でした。知人の計らいで瞑想ホール内部に立ち入ることが許可され、瞑想する機会を得ました。チョット不思議な体験でした。この体験談は別の機会にご報告します。⇒「ガラパゴス人への手紙」参照。
さて、アイチ会場となったヒーリングセンターには大小4つ半屋外のヨガ道場があり、ヨーロッパからの観光客なのか連日、ヨガ修業(?)が行われていました。プールは小ぶりですが1つ。アイチ養成は16名。うちインド人は2名だけ。他はフランス人が多く、ベルギー・オーストラリヤ・クロアチア・イスラエルからも…。モンゴル系ロシア人と韓国人(インドの大学でアーベルユーダを勉強している留学生)もいました。初めてアイチを習うヒトは少なく、既にベーシックコースを修了している人ばかりでした。結構、上手なのでビックリしました。
センター周辺ではサンダル一つ買えず、なんと5キロ先の街ポンディシェリー(Pondicherry)へ行かねばなりません。レンタル自転車で出掛けました。が、それが錆だらけのシロモト(?)。ギーコギーコ重いペダルを漕ぎ、国道沿いのインド人の暮らしぶりをチラホラ見ながらポタリング。ガンジーの親戚か…と思えそうな裸足の老人が片手に携帯を持って話している。かと思うと、国道沿いに牛が悠然と昼寝。その脇を迂回して高級外車が通り抜ける。得体の知れない奇妙な色のジュース瓶と一緒にペブシやセブンアップが並んでいるお店。急成長中の国はいずれも同じなのでしょうが、遠い過去の中に未来が混在している風景。結構、楽しい5キロ旅です。ボンディシャリーは250年間、フランス領だったのでフレンチコロニアルの建物が残っている一郭があり、ホワイトタウンと言われている。そのロマンチックな街並みは綺麗に整備されており、今は殆どがレストラン兼ホテル。日本人らしき観光客は一人も見掛けませんでした。そして、以前から欲しいと思っていたホンモノのインド綿で作ったちょっとルーズな白のパンツとシャツを購入。今年はムリでも来年の夏はコレを着よう…などと思いながらクアラルンプール(マレーシア)経由で帰国しました。翌日、大型台風が首都圏を直撃。一日ズレていたら大変だったに違いありません。インドにはまた行きたい。不思議な国ですネ。
AD研 今野純