5月上旬、ローマに10日間滞在しました。水泳コーチだった遠い昔、第一回世界水泳選手権(ベオグラード/1973年)の帰路、数日ローマに滞在して以来です。何と39年ぶり。
もしローマに行く機会あったらぜひあの場所を訪ねたい。それが古代ローマ時代の遺跡「大浴場」(テルメ)です。その当時はローマに3つあった。が、現存する遺跡は2つだけ。皇帝以外が建設した唯一の庶民的浴場『アグリッパ浴場』は相次ぐ火災と略奪で7世紀にはほぼ廃墟と化し、今は跡地があるだけ。現存する二つが有名な世界遺産『カラカラ浴場』と『ディオクレツィアヌス浴場』です。
先ずはカラカラ浴場へ。地下鉄を乗り継ぎコロッセオ駅へ。300年以上も血生臭い拳闘場だったあのコロッセオです。その先にある小高いチェリオの丘にカラカラ浴場があります。悪名高き皇帝カラカラが3世紀前半に建設。浴場というよりは一大レジャーランドです。図書館・劇場・集会場などが集結していた。浴場は大きく分けて3種類。冷浴・温浴・熱浴があったようです。とにかく大きくて広い。
当時、日本は《卑弥呼の時代》です。こんな施設があったのかと思うと改めて古代ローマ時代はスゴイと思いました。
ギボン著「ローマ帝国衰亡史」で度々登場するカラカラ帝はネオ帝と並ぶ二大暴君。略奪と虐殺を繰り返した。不人気を挽回するため巨費を投じて建設した一つが浴場。その他浪費三昧、財政危機を招き、遠征先で名も無き近衛兵から刺殺された。
ローマ帝国衰亡後、ムーア人他の時代になると、カラカラ浴場はゴージャスな建設資材だったがために内外壁がことごとく剥がされ彼らの住居材にされた。無残な遺跡になっている訳はそのせいです。
次に向かったのはテルミナ駅へ。数々の名映画の舞台になったヨーロッパ屈指のロマンティックな鉄道駅です。駅から徒歩で数分の処にあるサンタ・マリヤ・デッラ・ウィットリア教会。隣接した教会と国立博物館の一部がディオクレツィアヌス浴場。一度に3千人収容できたとされる巨大な浴場施設。と思いきや、今となれば名ばかりで、ルネッサンス期(16世紀)に改造改築された聖堂内の「ミケランジェロの回廊」の方がはるかに有名。回廊は観光客で賑わっていました。浴場内の展示品の多くは当時、貴族たちが愛用した多種多様な浴槽が展示されていました。
私が捜し求めていたあの有名な標語(In Aqua Sana Est)の展示品はなかなか見付りません。カラカラ浴場で残っているは波や魚のモザイク跡。ディオクレツィアヌス浴場の方は権力者の自慢げな史刻板ばかり。案内所の係官に尋ねるとムッとした顔で「ない」と一言。ムッソリーニ時代に多くが”消失”(盗難?)したのでソレもその一つかも…とのこと。二つの世界遺産で購入したガイドブックを読んで知ったことですが、アクアの”原点”となった有名な標語のタイル彫刻があった場所は今は廃墟と化している『アグリッパ浴場』だったようです。『カラカラ浴場』ではないらしい。今回のローマへの旅で得た一番の収穫はその事かも知れません。