国連気候行動サミットでスエウェーデンの16歳の高校生が痛烈な言葉で訴えた。待ったなしの地球温暖化問題。「経済のことしか考えていない」大人たち。胸にグサリと刺さる言葉でした。確かに私たち大人が重視している3つの経済原則…
|今だけ|金だけ|自分だけ|
この先に待っているモノは何か。今より「未来」でしょう…、金より「環境」でしょう…、自分より「社会」でしょう…。この高校生は自分一人で行動を始めた。今では世界中に4000万人が参加する一大ムーブメントになっている。
3・11の翌年、スイスでのアイチ講習会でのランチタイム。向かいに座った受講生(大学生)から質問された。「Fukushimaは何故起こったと思うか?」と…。重い質問に口がこもった。この青年曰く、あの大惨事は“天災”ではない。日本人の傲慢さが招いた“人災”だ…と。経済最優先。成長発展するのであれば自然破壊もOK。戦後日本人の過度の欲望への「天罰」だと言うワケです。ショック…。
水と電気をムダ使いしない。食事や食物をムダにしない。個人ができる温暖化防止はたかが知れているが、やらないよりはイイ…。
久しぶりに自転車に乗りました。一年ほど前、白内障の手術。その後も目の老化が進み、自動車も自転車も“ドクターストップ”。が、先週、精密検査を受けたら、昼間なら自転車OKとのこと。事務所周辺の河川敷を30分ライドしました。快調快適です。
実は12月に南米チリへ(3度目)。2週間の長旅です。チリは世界一細長い国。寒冷多雨な西岸海洋性気候。今回は結構移動距離が長い。体力がないと乗り切れません。自転車通勤を止めてからメッキリ足腰が弱く成っているので昼休みにライドすることにしました。
WOWO邦画『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています』(監督by 李闘士男)を観ました。題名からサスペンスかと思いきやラブストーリー。若い夫婦の交々として日常的な人間関係の悩み。内容は夫が帰宅すると毎日妻は死んだふりをしている。妻の意図が分からない夫。悩み、互いに戸惑いながら相手の気持ちを知り合う。夫婦とは何か…を考えさせらました。
キーワードは「月が奇麗ですね」。元は夏目漱石の翻訳本の中で“I Love You”をそう訳した。前後の情景から“名訳”だと言われている。その時、その場で、あなたなら“I Love You”をどう言うか。どう訳すか。今どき若い夫婦5組中1組が結婚5年以内に離婚する。×一、×二が珍しくない時代。夫婦と言えども所詮は他人。知っているようで実は相手の事を何も知らない。ドキッと胸を刺される思いです。何と今では以下のような本も出版されていると知りました。機会があったら読んでみます。
I Love Youの訳し方(望月竜馬著)
国連で初スピーチした小泉環境相。国内外で視点の異なる反応。国内では“セクシー発言”が波紋を広げています。が、国外では“気象変動”(グローバルウォーミング)への具体案がない…と。特に日本は「京都議定書」(1991年)の発案国。CO2を5%削減(?)。が、未だ何の成果も上げていない。そして、福島原発問題(2011年)。未だに原発セロと言い出せない。その上、数年後には処理水を海へ放出するらしい。かつてエ~ッカッコして出来もしない約束をした日本。海外の視線は冷たい。
さて、就任10日目。初の国連スピーチでさぞ荷が重かった事でしょう。NY留学経験があるとかで、自然体でのスピーチでした。Very Good…。やっかみ狙いの腹黒い政治家の雑音に負けないで欲しい。勇気を出して“セクシー”(カッコよく)に頑張ってほしい..。
数年前、南インドへ行きました。旧フランス領です。半砂漠化した広大な平原一面が太陽熱パネル(フランス製)が敷き詰められていました。確かフランスは世界一の原発国だと思うのですが、一方では太陽熱の研究もかなり進んでいると聴きました。
アメリカ・中国・インドの巨大3ヶ国だけでCO2排出量が世界の50%。が、そのインドであっても次の時代へ準備している。日本もこのままではダメだ…と痛感しました。
NHK BS アナザースカイ「オールナイトニッポン物語」再放送を観ました。深夜ラジオの草分け。半世紀以上続いた長寿番組。その時代の若者の心をとらえてきた伝説的番組です。面白かった。お笑い界の御三家(たけり・タモリ・さんま)他、今も活躍する裏方と表方の人間模様。世間に流されず、迎合せず、自分と向き合い、生き方を貫いたパーソナリティの方々の栄枯盛衰。特に毒舌が売りだったビートたけしは世間の批判に押し潰されそうになった。バイク事故や写真週刊誌への“殴り込み事件”はその現れ。
嘘のない言葉。勇気ある態度。その本音の生き方が若者の心を掴んだ。オールナイトニッポンがピークだったのは1970~80年代とか。当時、大学受験勉強をしていた深夜族の若者たち。首尾よく進学できたヒト。挫折したヒト。彼らは今50~60代です。あの頃の熱気を少し思い出し、ほんのチョット勇気を出して生きて欲しい。
アクア界の有名人。長年、ポーランドAEAのまとめ役として尽力しているエバ・カルカさん(元ワルジャワ国大教授)。友人ご夫婦と共に来日。既に広島→大阪→京都→奈良→金沢へ。何が一番印象に残った食べ物は…と訊いてみた。「金沢の老舗店で食べた寿司」「これまで食べた寿司とは全く違う。今までの寿司は一体何だったのだろう…」と言って今ました。
そして、最初に訪れたのが広島。原爆ドームと平和記念資料館。「生涯一度は訪れたかった」とのこと。第二次世界大戦はドイツ・ナチス軍のポーランド侵攻で始まった。戦後はソビエト侵攻。長い苦しみの歴史があります。終戦時、ワルジャワは広島と同じ、何も残っていなかった。ポーランドも日本も何もない瓦礫の中から人々が立ち上がり、国づくりをしてた。様々な話題で盛り上がりました。中華街での飲茶もとても美味しかったようです。
来日最後は東京。豊洲の魚市場と上野の美術館巡りをするそうです。また来てください。
ワルシャワ(ポーランド)Ai Chi認定講習会(2017年2月) ↓↓↓
https://www.aqua-adi.co.jp/info/30951.html
ワルシャワ(ポーランド) 見たこと思ったこと(2017年2月)↓↓↓
https://www.aqua-adi.co.jp/info/30602.html
世界三大スポーツイベントの一つ。ラクビーW杯。ラクビーは1823年、サッカーは1890年、いずれも英国イングランドが発祥の地。根っ子は同じフットボール。ご存じオリンピックは第1回アテナ大会が1896年ですから“新参者”になります。
ラグビーW杯観戦のため来日中の知人(ポーランド人)と会いました。宿泊先へ。横浜中区にオープンした日本一のメガホテル。客室数2311とか。ラスベガス並みですね。最寄りの駅も周辺も外人客で込み合ってました。横浜の新名所になるなるのでしょう。
昨今、プール施設の活用で悩んでいるフィットネスクラブが多いと聞きます。水中歩行の専用レーンはあるが、歩いているヒトは少ない。それも歩いているヒトの多くは、ただ歩けばイイと思っているフシがある。殆ど効果がない。職業柄が…歩き方を教えたい…そんな衝動に駆られる時すらあります。
陸上での正しい歩き方や走り方などを教える講習会があるようです。が、水中ではその種の講習会が少ない。水の特性を活かしたフィットネスとセラピーの歩き方の違い。そんな事を学び・考える半日講習会を行います。アクア&スイミング指導者が対象です。
水の特性を引き出す歩き方を学びます。
第34回ハーフディー講習会(アクアウォーキング)
詳しくは こちらへ ↓↓↓
https://www.aqua-adi.co.jp/workshop/40025.html
人生で<もし、この人と出会わなかったら…>今の自分はない…そう思えるヒトが誰にだっている。私にとってそんなヒトの一人。30数年前の「敬老の日」に入院先へお見舞いに行きました。太めの体を車椅子に乗せ、中庭を散歩。のんびりゆったりお話を聴きました。
当時、この方は欧米水泳界に知人が多く、この方の紹介状があればFINA(国際水泳連盟)会長にだって会えると言われた。日本水泳界の重臣。大学出たばかりの若者がフィリピン水泳連盟に招かれ、その後、国立大体育学部に3年間も勤務できたのもこの方の後押しのお陰だと思っています。気難しく、近寄り難い風貌があった。が、その日は上機嫌でした。帰り際、唐突に「今野クン、キミと会うのも今日が最後にしよう」「ご家族を大切に…後悔のない生き方をしなさい」言われた。3ヶ月後に他界。カトリック教徒だったので東京タワー近くの聖アンデレ教会で葬儀を上げ、お見送りしました。
あの頃の先生の年齢に近づいています。先生のような立派な生き方はどても出来ません。が、ほんの少しでも近づきたいと思ってます。敬老の日になるとあの時の事を思い出します。
生き方の7つのルール ↓↓↓
http://junkonno1.blogspot.com/2014/05/blog-post.html
マラソンのメダル獲得への強化策「MGC」。ワクワクしながらTV観戦しました。NHKと民放とのコラボ放映も面白かった。予想に反し、期待された本命選手には厳しい結果でしたが、これもスポーツドラマの一面。さて、上位2名が東京五輪へ。オープンな選考法。一発勝負。勝っても負けても恨みっこなし。
ところで、2020年東京五輪の競技日程。水泳と陸上は重複しない。これは歴代五輪でも同じです。二つのメジャー競技は別格扱いなのです。4年毎、五輪には国力をスポーツで誇示する意味があるので、水陸は最も注目されるからです。
リオ五輪で陸上・男子4×100mで銀メダル。歴史的快挙を遂げた日本陸上界。それに甘んじることなく上層部を人事一新。生まれ変わった。一方、メダルラッシュに沸いた日本水泳界。逆に甘んじた。その後、男子スター選手が肘骨折で外科手術。ユニバーシアードでカメラ窃盗疑惑。そして、女子スター選手が白血病。い ずれも海外遠征先での不祥事。が、選手本人の自己責任と位置づけた。上層部の引責辞任は誰一人なかった。リオ五輪のままで東京五輪を迎えることになります。水陸で東京の迎え方が違う。これが凶と出るか吉と出るか。選手の活躍にどう影響するのか…。
「水」を差すようで気が引けますが、来年を真摯に見守りたい。
過日、法要の食事会で気さくに話してくれた銀行家(風格も容貌もVIP?)から興味深い話を聴きました。3.11で岩手が負ったダメージは総額1.3兆円なのだそうです。岩手の観光業に詳しいようでした。
例えば、花巻温泉郷の歴史は古く、平安初期に開湯した。8つの温泉が河川沿いにある。代々“家業”だったのが“企業”へと衣替え。が、8年前で大打撃。多くが銀行管理下へ。とは言え、銀行自体も存続が危うくなる始末。岩手経済界は8年後の今も闇の中だと嘆いていました。
「これから、どうすればイイと思いますか」と訊いてみた。「さア~ね~」と口籠る。事業も人生も同じだと言う。つまり、“風”を読む。時代の“波”を感じるのが一番だとか…。さて、どうする…。ただ笑うだけでした。
10年ぶりイヤ20年ぶりかも知れない。花巻の火葬場で彼とバッタリ会った。法要後の食事会(おとき)で隣に座り、思い出話しをたくさんしました。彼と私は中学→高校時代、水泳選手でライバル同士。彼は石巻(宮城県の港町)、私は仙台(東北一の大都会)。都会っ子が負けると先輩たちから大目玉。勝ったり負けたりしました。が、高ニの時、岡山国体で共に決勝進出。東北にはプールが少なかった時代ですからチョットしたスター気取りでした。
翌年(高三)、私は成績が振るわず、早々に「夏」が終わった。気晴らしで石巻へ。老舗の燃料問屋(?)だった彼の実家に一泊。大歓迎された。海鞘(ホヤ)が大好物だと知ると、彼の母親が夕飯に用意してくれた。何と丼ぶり一杯分。石巻はホヤの産地。新鮮な味。あの時の味は今も忘れられない。そんな話しをしました。
ホヤは貝でも魚でもない。脊索動物の一種。海の“パイナップル”と言われ、一度食べると病みつきになる。
たらふくホヤを食べたあの古民家。旧市街地跡は今は巨大防潮堤の下だと聴きました。例の東日本大震災で親戚や友も多く亡くなったとか。命からがら逃げたあの日の“悪夢”を少し語ってくれました。
「仕事は大変だけと…何とが頑張っている」「亡くなったヒトの分まで生きねば“罰”があるからね」と…。8年前の大災害。巨額な政府復興支援金も打ち切られ、復興バブルで沸いた街は二度目の社会経済災害に襲われているとか…。
別れ際、「ホヤ食べに来てよ」と誘われた。食べたいあの新鮮な味…。
東北新幹線で岩手・花巻へ。日帰り。過日、亡くなった義母(101歳)のご葬儀です。大往生でした。字の如く「天命を全うして眠るように安らかに逝く」。三番目に弔辞を述べたご高齢の幼馴染。思い出の話の数々。在りし日の人柄や笑顔が目に浮かび、涙しました。合掌。
名物“花巻祭り”(9月13-15日)の前日でしたから在来線の駅前には豪華絢爛の山車が並んでました。今では東京から2時間30分で行ける。便利になったのも善し悪しです。数多くの名湯がある温泉郷ですから日帰りは勿体ない。次回、のんびり自慢の露天風呂に入りたい。
18年前の今日。あの出来事が起きました。時代の流れを変えた。世界の枠組みを変える「パラダイム・シフト」が起きた日です。あなたは何処で何をしていまいたか。何を学びましたか。
親戚縁者の中でただ一人、100歳超えをした義母。昨日、他界しました。享年101歳。
いまでこそ“人生100年時代”などと言われます。が、一世紀を生き抜く事は奇跡に近い。全国に100歳以上が7万人いるのだそうです。うち88%が女性。最高齢は116歳(横浜在住)。近年、田舎より都会に多いと聴きました。世界の最高齢者は122歳(フランス人)。長生きの秘訣はチョコレートとワインが大好物。何と117歳まで愛煙家だったと言うのですから驚きです。
義母は時折絵ハガキを送ってくれました。身近な素材を絵に描き、周囲に暖かい字で近況を綴る。高齢になっても楽しみを身近に探し、明るく生きた。自分に置き換えて見ると如何にスゴイ事かが分ります。過日、100歳の誕生日にお会い出来たのが最後になりました。長い間、本当にお世話になりました。安らかにお休みください。合掌。
昼のTV番組。韓国の新法務大臣の話題で持ちきりです。エリート大臣よりも夫人の不正疑惑(?)。日本も同じで首相よりも夫人の不正疑惑(?)。行政の“ソンタク”の「壁」を司法が崩せるか否か。日本の場合、森本・加計問題の疑惑は結局うやむやに…。さて韓国の場合はどうか。疑惑は解明されるのか。興味津々…。
私事で恐縮です。私は終戦2年目の正月元旦に仙台で生まれた。6人姉兄の末っ子。兄4人は既に他界しています。歳が離れている姉がいます。両親が共稼ぎだったので親代わりでした。海外へ行く度に旅先から絵ハガキを送る事にしています。帰国する頃を見計らってデンワがある。時には、仙台名物の笹蒲鉾やズンダ餅が届く。それとは別に今回は少し様子が変。何せ92歳ですから…心配でした。
昨日、姉からハガキが届きました。元気そうな文面。ほっと一安心です。長い間、茶道(裏千家)の師範をしていただけあって、今も作法も文字もキレイ。そして、情が深い。例えば、家族中、最も出来の悪い末弟の所為で親代わりの姉が時々学校へ。芳しくない成績を叱られる。その度「大丈夫よ…大きくなれば勉強したくなるから…」「その時が来たらすればイイ…」と慰められた。ついに“その時”が来ないまま、大人になってしまった気がします。“大丈夫よ…”が口癖の姉の励まし。笑顔。長生きしてください。
人の一生でそのヒトと出会える確率はどのぐらいか。出会える人数は何人ぐらいか。以前、イギリスの文化人類学者が幾つの偶然の数値を変え、出会いの確率を計算した。結果、平均的なイギリス人だと人数は生涯で3万人。その内、名前や顔など個別要素を識別できるのは3千人だった。イギリスも日本もユーラシア大陸から飛び出た小さな島国なので同じ確率方程式なら似た結果かも知れません。
例えば、日本人の平均寿命を80歳。毎日、異なる他人と出会えると仮定すれば2万9千人。個別識別できるのが10%とすればイギリスと大差ない。有名某大の先生によれば日本人は一生で8万7千人と出会えると言っているらしい。普通の生活や職業でそんなに多くの人々と出会えるのか否か。よく分りません。が、ヒトとの出会いは“奇跡”のような確率だと言えます。日本人同士であってもそうなのですから、海外なら尚更です。例えば、世界人口70億人として、特定のヒトと出会える確率は何と0.0004%なのだそうです。ヒトとの出会いは奇跡。せっかくの奇跡の出会いを自ら断つ。縁切り。かなりの理由と覚悟が必要ですね。
ちなみにヒトが生まれる確率。何と7兆分の1なのだそうです。奇跡中の奇跡。生んでくれた親への感謝。生まれてきた子への感謝。結婚してくれた相手への感謝。友になってくれた人への感謝。出会いのあった人への感謝。感謝・感謝です。
横浜駅西口にある横浜家系ラーメン。元祖。久しぶりに食べました。今は弟子たちが分家して横浜中いたる所にある“家系”ですが、もともと“元祖”の店は磯子駅前のトラック通りにあった。怖いオヤジが目を光らせ、座り方から食べ方までいちいち大声でコーチングする。それが名物でした。店先の長い行列は当時も今も同じ。さて、肝心の味はどうか…。前ほど旨くはない(?)。それだけ家系の味が一般化したからでしょう。勿論、怖いオヤジは昔の話しで今は若衆が取り仕切っている。が、オヤジのトレードマークだった白地の上下作業服、捻じりタオル、白のゴム長靴は今も同じ。ラーメン好きなら一度は食べてください。元祖の味を…。
終戦80年目の今年、ポーランドへ招かれ、ドイツ大統領が謝罪。安倍さんが文さんの求めて応じて韓国独立記念式典に参席、謝罪するのと同じ事です。日本もそのくらいの度量があって然るべきではないでしょうか。
ドイツの首脳陣はナチス軍戦没者への慰霊はご法度。日本はどうか。靖国へグループで参列する。戦争犯罪への認識が低いと思われても止むを得ません。この違いは大きいですネ。
日清戦争から数えれば100年間。日露戦争後、特に日韓併合(1910年)から終戦(1945年)までの35年間、韓国人を“第二日本人化”しようとした。苗字も言語も宗教までも強要した。未だにこの事が日韓の溝になってることはご承知の通りです。ドイツに学びましょう。
電話口に「今野クン元気~」と弾んだ声。元国際警察機構勤務。東南アジア諸国(マレーシア、シンガポール、タイ、ベトナム)の警察学校で柔道指導。人生の殆どを海外で暮らした柔道家です。ベトナム人の教え子の引率で武道館へ来ているとのこと。
彼とは青年時代、海外で知り合った。会った回数は数える程しかない。が、時間の空白は殆ど感じない。「ボクも70歳過ぎた」「そろそろ“リタイヤ”かも…」と言う。柔道や空手など武道家には彼と同じ海外生活の長い方が意外に多い。海外での日本人像、例えば、礼儀正しさ、冒頓とした言い方、凛とした生き方など…。日本人への好イメージは彼らに負うところが多いのではないでしょうか。
「来年(2020TOKYO)まで頑張る…また来るからネ」と電話が切れました。ベトナムチームの柔道選手たち、来年、初戦突破を祈ります。
ジョセフ・ピラティス。“生ピラティス”の貴重な動画ですネ。ちょっと失礼な言い方ですが、結構、荒っぽいですね(?)。常々、背中の強さが大切と言っていた彼の考え方が少し垣間見れます。彼を含め、三大姿勢矯正法の考案者たち。いずれも姿勢がイイ。晩年になってもイイ体を保っている。理屈だけではなく自ら実践していた証拠です。そこが立派ですね。
首から上か? 首から下か? エクササイズの二つの考え方
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