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アルゼンチンのお土産話し   2013.12.05

フェースブック アルゼンチン 教会 1 フェースブック アルゼンチン 教会 2
 Thank You 3  国旗 アルゼンチン 3
フェースブック アルゼンチン タンゴ 1  フェースブック アルゼンチン タンゴ 2
 国旗 アルゼンチン 3 Thank You 3
フェースブック アルゼンチン チェ・ゲバラ 1 フェースブック アルゼンチン チェ・ゲバラ 2
 Thank You 3  国旗 アルゼンチン 3
フェーズブック アルゼンチン エバ・ペロン 1 フェーズブック アルゼンチン エバ・ペロン 2
 国旗 アルゼンチン 3  Thank You 3
フェースブック アルゼンチン サッカー王国 1 フェースブック アルゼンチン サッカー王国 2

* ローマ法王も日々礼拝していたロザリオ教会

ミラノ(イタリア)とケルン(ドイツ)。そしてアルゼンチンの大聖堂。いずれも世界遺産です。首都ブエノスアイレスと思いきや大聖堂はコルドバでした。南米大陸のど真ん中に位置する処。スペイン植民地時代の要所だったからでしょう。残念ながら今回訪れるのことはムリ。が、滞在したロザリオにも大きなカトリック教会がありました。何と現ローマ法王フランシスコも以前勤務していたことがある教会とのこと。アルゼンチンの人々は9割がカトリック教徒。教会内にはひっきりなりに人々が訪れ、敬虔な祈りを奉げていました。


* アルゼンチンタンゴの誕生秘話

アルゼンチンの首都ブエノスアイレス。大河ラプラダ川が大西洋に灌ぐ汽水域のラボカ地区があのアルゼンチンタンゴの発祥地とのこと。今は簡素な住宅街ですが、その当時は貧民街だったとか。ガイドさんによれば、タンゴはフランスのシャンソンとアフリカのブルースが溶け合って産まれたリズムなのだそうです。男女ペアで踊るようになるのは後世になってからで当初は男性同士で踊っていたのだそうです。どうりで力強くキレのあるステップが多いはずです。以前からAi Chi Ne(二人一組でのアイチ)はタンゴに似ている。と言われてきたのですが、アルゼンチンでのアイチ講習会ではその通りだと実感しました。本場の人々が行うアイチ・ニは確かにタンゴダンスのようでした。


* 英雄は遠い過去の存在

学生運動最盛期が青春だった私の世代。チェ・ゲバラは“英雄”でした。彼の出身地はロザリオ(アルゼンチン)。旧市内の中心街にある重厚な住宅ビルの一つが彼の生家。探し出すのが困難な程、街行く人々は無関心でした。今もそのビルは“現役”で誰がが住んでいる様子でした。現地での彼の評価は賛否両論。テロリストやコミニュストとして嫌う人も意外に多いらしい。生家に住んだのは幼年期だけ。喘息の持病があったとのこと。長く郊外にあった別邸で育ったことを知りました。ロザリオの公園にモニュメントがあることを知り、行ってみました。周囲には落書きが多く、メンテナンスの状態が悪かった。英雄チェ・ゲバラは遠い過去の存在でした。ちょっと淋しかった。


* 二人三脚で支えた南米ナンワーワンの国

一時はGNP世界5位。南米唯一の“先進国”だったアルゼンチン。経済発展に貢献した元軍人のペロン大統領。“独裁者”と陰口を言われた程の長期政権でした。その夫人エバ・ペロンは元女優。“エピータ”の愛称で知られています。生前、二人が暮した豪邸は、失脚後、政敵だった次期大統領が即刻解体。今はただの公園でした。が、その片隅にエピータの銅像がありました。夫より陰で支えた妻の方が有名。ミュージカルで大ヒット、マドンナ主演で映画化。さすが伝説の女性です。
Don’t Cry for Me, Argentina!


* スーパースターたちのサッカー少年時代

南米のサッカー王国アルゼンチン。ブエノスアイレスの一角にスター選手をたくさん輩出した街がある。ガイドさんによれば、歴代12名のナショナルプレーヤーが生まれ育った街なのだそうです。その頂点に立つのがご存じマラドーナ。当時、貧困層が住む街は今では観光地。たくさんの外人観光客で賑わっていました。スーパースター達が幼かった頃、毎日が本番ゲーム。1点ゴールする度に1個のキャラメル・チョコがご褒美だったとか。甘さに飢えた彼らは必至でゴールへ向かってシュートしたのでしょう。“ボノ・ボン”と称されるその飴が名物のお土産品でした。北米のバスケット、南米のサッカー。“Hungry Sports”の代表です。どん底から這い上がるハングリー精神。ガッツがなければ大成しない。“お坊ちゃん”プレーヤーが多い国がワールドカップで勝ち残るのは至難の業なのかも…ネ。