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facebook journal  2017年11月より   2017.11.29


■ 考え方を変える 17/11/29 2

過日、西宮(リゾ鳴尾浜)でのAF21。興味深い音響機器の使い方を見ました。音響・音量をアップする方法です。見せてくれたのは新野正法さん(ハマカイダTHF)。機器の前面をわざと壁側に向け、一旦、音を壁あて、反響させる。効果大。各種アクアイベントを数多く手がけてきた新野さんならではアイディア。苦肉の対処法だったのかも知れません。常識を疑う。発想を逆にする頭の柔らかさ。感心しました。

『コロンブルの卵』の話は有名です。一旦見れば“アッそう言う事が”と分る。が、見なければ分らない。ならば、こんな事も…あんな事も…出来る。その通り。世の中はこうして進歩するワケです。大切なのは世間の「常識に従う」ことその「常識を疑う」こと。双方の目と頭を持つ事です。もちろんだた考えているだけは何も進歩しません。その「発想」を「実行」してこそ進歩なのです。


■ 横綱のケジメ 17/11/29

ご存知、万里の長城。中国北部を東西に走る城壁。人類史上最大の建造物です。北方からの異民族(モンゴル人)侵入を防ぐために築かれた。そうとう怖かったのでしょう。今も昔もモンゴル人の強さはバツグンです。日本の国技、相撲界の頂点に立つ横綱4名中3名がモンゴル人ですからネ。

心技体。三拍子揃ったはずの横綱が格下の力士への度を超す暴行騒動。刑事事件で立件か(?)。今日、早々に横綱が引退表明した。さて、次の関心事は…。ここまで騒ぎを大きくした“仕掛け人”(親方)はこの先どうするのか。親方間の“確執”の違いがお家騒動へ。相撲ファンとして、国技の行方が気になります。


■ 心の師を訪ねて 17/11/28 2

JR西宮駅の次の駅が芦屋。“エッ”(!?)…芦屋はもっと遠い処だったような思い出があります。私の心の師である高石勝男先生のご自宅(芦屋)へ、図々しくも、一度、お伺いしたことがあります。どのように芦屋へ行ったのが全く思い出せません。

高石先生は往年の名選手。アムステルダム→バリ→ロスアンゼルスと三度の五輪で大活躍。銀メダル2個。1964年、東京五輪の時、日本水泳チームの総監督。日本水泳連盟会長でした。

東京五輪で日本水泳界は大惨敗。会長辞任。そんな頃、仙台在の一高校生だった私は高石先生との文通が始まりました。二年後、59才でお亡くなりになるまで文通は続きました。競泳コーチになる「夢」を抱いていた私はいつも先生の手紙に励まされました。いよいよ競泳コーチの勉強に海外へ旅立つ時、芦屋宅でお仏壇にお線香をあげさせて頂きましたす。見ず知らずの私を奥様は暖かく向か入れてくました。うな丼を御馳走になりました。帰り際、「主人の形見に…どうぞ…」と頂戴した本。先生が海外向けに英文で書いたジャパニーズ・クロールの解説書です。穴が開くほど読みました。

結局、高石先生とは生前、一度もお会いする機会がありませんでした。が、今も心の師と仰いでいます。あれから半世紀。西宮の隣が芦屋だったとは…知りませんでした。


■ 夢を持とう 野心を抱いて生きよう 17/11/28

「夢」を持とう。特に若者は「夢」を…「野心」を…。強く抱いて生きよう。夢の実現へ向け、努力しよう。目標と計画を持って生きよう。

先月は知人が…。今月は親戚の若者が逝った。いずれも死因はガン。専門医と言えども、命の終わりに出来ることは殆どない。命は神の領分。残った者は精一杯生きる。それが何よりの供養。夢を持っていた若者。目標と計画があった。さぞ残念だったに違いない。せめて彼の分まで生きよう。頑張ろう。

~逝く者は裂くが如し~

丹精込めて織り上げた大事な生地をムリやり裂かれる。そんな心境なのでしょう。親より早く他界するとは…何とも遣る瀬無い。残念。合掌。私の両親は亡くなりましたが、妻の母親は間もなく100歳へ。おめでたい事です。せめて両親よリ長生きしたい。それも元気に。それが生きる力になっています。


■ 大阪へ 体重1キロ増 17/11/27

年一回、関西でのAF21。楽しみの一つは食べ物。元祖モダン焼きのお店で舌鼓を打ちました。が、ワタシ的にはシンプルなイカ天ネギ焼きが最高でした。のんびりし過ぎて予定の新幹線に乗り遅れ、自由席で名古屋まで通路立ち。正月並みの混雑でした。

朝は駅ホームで横浜名物の焼売弁当。昼は西宮のコンビニで見つけた妙な具材のニューおにぎり。そして夕はお好み焼き。食べまくりの日帰り旅。お陰で今日の体重、1キロ増でした。今さら効果ナシと知りつつも特茶2本をがぶ飲みしました。


■ 今年最初の忘年会へ 17/11/25

今年最初の忘年会。NPO法人練馬区水泳連盟主催。20年前から水泳指導でのノーマライゼーションに貢献している同連盟リーダー茨田忍さんのお招きで参加しました。障害者と健常者の指導融合への熱意と理想を目指す人々のエネルギーに圧倒されました。

詳しくは こちらへ ↓↓↓
https://www.aqua-adi.co.jp/info/18786.html

ノーマライゼーション(normalization)…聞きなれない言葉かも知れません。社会福祉用語。もともとは音量の均一化のことだったようせすが、障害者が健常者と同じ空間で生活できるようにすること。今日では社会生活の基本される考え方です。プール施設は安全性と効果性とのバランスがイイので、ノーマライゼーションに最も適した運動環境だと見做されています。会場で聞いた話。昨年まで毎回、小池礼子さん(現都知事)が参加。熱っぽくノーマライゼーションの話をされていたとのこと…。どうりで健常者よりも障害者の2020年に熱心なはずです。

米国の大政治家ルーズベルト大統領は車椅子でした。が、その写真はありません。撮影を許さなかったからです。その理由は「憐みや同情は必要ない」と言っていた。それは半世紀前の話。今なら車椅子の米国政治家は珍しくない。その姿を見て、憐みを抱く人より、敬う人の方が多い。時代は必ず進歩する。少しづつですが必ず変化する。障害者に限らず、隔離→差別→区別→融合へ。時代はノーマライゼーションへと向かっています。


■ To Be, Not to Do 17/11/24

世界一の歓楽街。NYタイムズスクエア。ど真ん中の三角ビルの大時計は東芝の有名な広告塔です。特に年越しのカウントダウンは世界中に放映される。この光景を見るのは今年がラスト。ついに東芝が消えます。そのワケはご周知の通りです。

20年前、タイムズスクエア周辺のネオン広告の殆どが日本企業でした。が、一つ消え、また一つ消え、ついに最後の一つが消えます。日本企業の転落ぶりを象徴してます。これが世界での日本の実力であり、厳しい現実です。淋しい…。

たった20年間で日本が「変」になった。人、それも頂点に立つ1%の日本のリーダーたちが「変」になった。「結果を出せ…」の大号令、いつの間にかプロセスが軽視され、見えない“過ち”を繰り返した。自分され良ければそれでイイ…。自分勝手、自己中心の考え方が「変」の源。今一度、あるべき姿を考えましょう。


■ 英雄は身内に殺される 17/11/20

昨夜のNHKスペシャル『ドラマ龍馬最後の30日』。福井藩家老の末裔宅で発見された龍馬の手紙。封印された新国家構想の素案。これを基に大胆に推測した龍馬暗殺の仮設。実行したのは見方の筈の土佐藩。事実は小説より奇なり。面白かった。

幕府側と統幕側の双方にパイプがあった。見方によって二重プパイ的な不思議(?)な言動の数々。商材に長け、徳川崩壊後を考えていた構想力。有象無象の幕末志士とは一線を隔した人材。短い人生を劇的に駆け抜けた。没150年の今も龍馬フアンが絶えないのはそんな理由からでしょう。

これが龍馬の最後の写真(暗殺される3ケ月前とか?)。長身でイケメン。モテた筈です。

命を狙われていた龍馬。周囲は随分用心していたようです。度々宿替えを勧められていた。“マサか…”出身母体の土佐藩が狙っていたのは…。意外ですね。用済み下級武士。邪魔者だったのでしょう。


■ 夢を持ち、夢に生きる 17/11/15

態度も言葉も快活で好感度バツグンの若者と会った。“夢”はなに?と訊くと「バリに住むことです」と言う。サーフィン好きが高じてバリ(イントネシア)へ行く中でバリ人の独特の文化や生活様式に強く惹かれるようになった。移住費用の為にハードな仕事も平気になった。自分の生活が一変した。“夢”に生きる。毎日が楽しい…とイイ顔で話してくれました。

私も彼と同じ頃、イントネシアの一部、バンダ諸島へ住みたいと「夢」を抱いていました。勤務先だったフィリピン大学に留学中のインドネシア人と知り合い、東南アジア史に興味を持ち、バンダ諸島の世界史での価値を知りました。今ではコショウの多くはインド産ですが、大航海時代はバンダ諸島の特産品でした。バスコダガマが喜望峰を回り、インド海へ。コロンブスがカリブ海へ。冒険者たちを資金援助したヨーロッパの国王たちの望みはバンダ諸島でしか取れなかったコショウを独占する事でした。オランダ人は航海途中に数多くの要塞を築き、独占をキープしようとした。が、イギリス人は苗木を盗み、インドでの植林に成功した。その後、コショウを巡る争いは止んだ。要塞で守ろうとした国。他国へ移植した国。ビッグ・ビジネスは大きく変わって行きます。バンダ諸島も世界史から消えていきました。

私のバンダ諸島への「夢」は実現しませんでした。が、高感度のイイ若者のバリへの“夢”は実現してほしい。夢を追う若者は魅力的です。


■ 見方と思考 エピクテトスの不思議 17/11/09

考え方や見方の角度を変える事を「エピクテトス」と言います。

例えば、ヤル気がなくなった場合、そのままでは後ろ向きです。それを「大したことはない」「ただヤル気を失くすと決めただけだ」と言いかえてみる。思考や見方を変えただけで自分を前向きにさせることが出来る。昨今話題の心理学者アドラーはこの手法(エピクテトス)をたくさん使うことを勧めています。沈んだ心をアップさせ、明るく前向きに生きる。それが一番大切だと強調しています。

エピクテトスの名言『悪い運命など何一つない。人生に必然的な不幸などない。』つまり、思い込みを捨てよ。そうすれば不幸だって捨てられる…と言うワケです。

ありのままに観て、ありのままに生きる。古代ギリシャ時代のストア派の哲学者エピクテトスは何事もポジティブに受け止め。生涯、ハッピーに生きたとのこと…。見習いたいですネ。


■ トランプ大統領 初の東アジア歴訪 日韓の違い 17/11/08 2

元寇。鎌倉中期。モンゴル帝国が高麗王国を制圧。二度、日本侵攻を企てが、二度とも天候不良(台風)に阻まれ侵攻断念した。蒙古襲来と称される日本建国史上最大の危機。鎌倉幕府崩壊の原因の一つなった。

元寇の兵士たちはモンゴル人ではない。殆どが韓国人。朝鮮人が今も昔の大陸寄りは大柄で勇猛果敢。半島側は中肉中背、やや穏健。時代はかなり違いますが、戦後まもなく朝鮮動乱が勃発。南北両軍が激突。北が圧勝。何と半島端のプサン付近まで南は押し込まれた。米軍が大量介入の結果、ソウル近郊まで押し戻し、停戦。実は今も南北は休戦中です。

トランプ大統領の初の東アジア歴訪。日本では“Honeymoon”(蜜月)をアピール。が、韓国ではやや不協和音が…。不機嫌なトランプさんが韓国を“Ingratitude”(恩知らず)と言ったとか…。米軍介入がなければ全土が「北」になっていたからでしょう。

毎度、過激な言動が大好きな韓国。国賓招待の晩さん会に竹島産のエビを振る舞ったり、元慰安婦を招いたり、何かと反日をアピール。一方、日本首相は公式会見で軽々に“Donald”と呼び合う…。どちらも正直、頂けません。

“A hedge between keeps friendship green”(親しき仲にも礼儀あり)


■ 都会の中の少子高齢化現象 17/11/08

私が住む横浜は東京に次ぐ国内第二の大都会。人口370万。大阪より100万人多い。が,大阪のような独立した都市機能がない。大東京に飲み込まれた首都圏の一都市。こんな都会の片隅にも少子高齢化社会の波が急速に押し寄せている。

近所の一角。以前,老夫婦が住んでいた一軒家。しばらく空家だった。韓国出張前に解体業者が入り,帰国してみたら空き地になっていました。このような事はそこらじゅうで起こっているのでしょう。あの品のイイ老夫婦。園芸好き。四季折々,花々が咲いていた花壇がやがて朽ち。雑草が生え。ネコの遊び場になっていた。今は平地。何もない。ちょっと寂しい。が、こうして時が移り変わって行く。

今日も一日頑張りましょう!


■ ソウル・リポートセンター 開設20周年 17/11/06

初めて韓国訪問。アクア講習会で講演しました(1995年/プザン)。打ち上げでカラオケ店へ。“演歌”を唄ったら店内で乱闘になった。人々の異様な眼差し。当時、日本の歌は唄ってはいけなかったのだ。何故、韓国で日本は嫌われるのか。個人で何ができるか。これが契機となり、考えるようになりました。

間もなく、ソウル市内に社会福祉団体が本格的なリハビリ用プールを新設。アクア指導者の人材育成に力を入れている事を知りました。不思議な縁があり、そこで講習会の講師をすることになりまりました。何と海外顧問になりました。センターの発展に貢献できることは何か。出来る限りの協力をしました。そのセンターが今年で創立20年周念を迎えた。これからも韓国のリーダー的存在。指導者育成の拠点。益々のご発展を祈ります。

私のビデオメッセージ ↓↓↓
https://www.youtube.com/watch?v=7838L8efMKw&sns=fb


■ ルーキー時代、講師&講演マニュアル 17/11/02

毎月届く数種の業界誌。様々な講習会や研修会の記事が満載です。講師の顔ぶれと人数の多さ。講義内容も題名も実に様々です。企画者、講師、参加者。三者三様の熱意が業界発展の要です。

今回、ソウル出張(4泊5日)。本棚の隅にあった色あせた古本を持参しました。30数年前、脱サラした時、愛読した本。『講義の進め方・話し方』(著:正木勝秋)。副題が<研修講師100のポイント>。当時、極めて珍しかった内容。講演の仕方など誰も教えてくれない。これをマニュアルがわりにしました。

■初めての講師→■講義前の準備→■レッスンプランの作成→■講義の進め方→■講師としての態度→■講義時の話し方→■講義後の反省→■ベテラン講師のポイント。以上、8つのグループからなり、それぞれ小見出し的な100ポイントが書かれている。ノウハウ本です。

初心に戻り読み返すつもりで持参。が、ソウルでは意外に忙しく、斜め読み程度しか出来ませんでした。ページの余白にエンピツ書きで色々メモがあり、中には意味不明な内容も…懐かしかった。本屋に行けば、今はこの種の本は山ほどある。専用コーナーもある。が、当時は貴重な一冊でした。時には本を読み返すのもイイものです。


■ 韓国でもあった納豆汁 17/11/01 3

韓国の納豆汁。初めて食べました。納豆の匂いは少し強いが、美味しい。これも外人観光客には馴染のない料理ですネ。


■ ソウルで出会った大衆食堂 17/11/01 2 

今回、4泊5日のソウル出張。外人観光客は入らないような大衆食堂へ。1食600円(?)。お替り自由。。何と月締め、ツケが効く。常連さんの小さなノートが沢山ありました。料理の品数も豊富で美味しい。大好物のキムチも数種類ありました。

学生の頃、仙台駅前裏に数軒あったメシ屋さん。水泳の練習帰りに立ち寄り、大盛りメシをお替り。満腹。それだけで幸せだったあの頃を思い出しました。


■ なぜ日本はこうなったのか? 17/11/01

昨日、韓国ソウルより帰国。金浦⇒羽田は1時間40分。席が隣だった中年男性(韓国人)と話していたら着いてしまいました。まるで国内便ですね。その方50代(?)。広告代理店経営とか。日本語がうまい。彼らには発音しにくいとされるタ行が全く日本人と同じ。何と若い頃、東京外語大へ留学していた。どうりで上手な筈です。渋谷のハロウィンを視察するのが目的とか。ソウルでも仕掛けたい…と意欲的でした。

ちょっと気になる話も聞きました。昔はともかく、今の韓国では日本語を習いたい若者は激減している。人気がない。富裕層の子女は小学生からTOEIC専門塾へ通わせる。英語圏の高校・大学へ進学。日本への関心は年々下降線らしい。「近年、ジャパンパワーは弱体化していますからネ…」「なぜ日本はこうなったのですか?」と逆に質問されました。

さて、久々の東京訪問。何が食べたいですか?と訊いたら、「そりゃ王将の餃子ですヨ」と即答。何度食べても飽きない…「日本の“味”です」と絶賛。「餃子は王将に限りますね」と…。と言う訳で帰国最初のランチは駅前の王将へ。あっさり味を食べました。

GNP世界第2位…が、昔話になりました。“あッ”と言う間に28位へ。質の高さが売りだった“Made in Japan”が、大手企業が相次ぐ不祥事ですからネ。残念ですがこれが現実。日本に限った事ではないかも知れませんが、上層部の資質が急速に悪化しています。リーダーたちの正義感が危うい。偉いヒトが偉くない。それが今の日本の悲劇です。先ず隗より始めよ。