拘りを持って生きる。生き方の“クセ”とでも言えます。程度差はあるにせよ男性に多いようですネ。私も端くれの一人として多少生き方に「拘り」があります。
携帯がダイヤル式。着信音もリンリンなるベルの音。拘りなのでしょうね。個人レベルならイイのですが、会社や仕事や管理の仕方にも個人的な“クセ”を持ちこむヒトがいる。自分がしなくない変化は一切受け入れない。慣れた親しんだ事しかしたくない。理屈を付けて頑固に拒む。そんな迷惑な御仁がいる。あなたの周囲にもそんな困った人がいるかも…。生き方の拘りは他人に迷惑を掛けない範囲でお願いします。
■ アジア大会の使命と目的 18/08/29
アジア大会も終盤。日本チーム、前半は“池江フィバー”で盛り上がった水泳。が、後半の陸上はサッパリ盛り上がらない。競技者に限らず、スポーツ解説者もイマイチ。大変失礼な言い方ですが、まるで<昨日の天気予報>。つまり、結果が出た事に対して言い訳しているに過ぎない。
さて、トラック競技でメダル獲得するアフリカ系アスリートたちが目立ちます。所属は石油産油国(中近東小国)。様々な事情が背景にあるのでしょう。トレーニング環境や生活環境を求め、“国籍”を変え、競技実績を積み上げる。競技人生が終えたら母国(アフリカ)へ戻るアスリートが多いらしい。彼らの必死さが見え隠れします。
アジアは長く欧米列強国の植民地だった。戦後、独立国になったアジア諸国のナショナリズムの高揚とスポーツ教育文化の振興を目的にした“リトル・オリンピック”がアジア大会。が、しかし、アマとプロの明確な区別がなくなった今。やがてエリア限定のスポーツ競技の時代は終わる。アジア大会の目的と役割はそろそろ終りかけています。
■ 愛しのエリー 結成40周年 18/08/28
昨夜、NHKでササンオールスターズ結成40周年ライフ番組(再放送)を観ました。サザンと言えば『愛しのエリー』。最初のメガヒットとなった。が、何と2作目だったとか。1作目は『勝手にシンドバッド』。日本初のデジタル録音だったようです…。39年前、音楽業界がアナログかデジタルか決まっておらず録音システムの混乱期だったようです。所属事務所もレコード会社もマイナー。学生バンドは多少軽く見られていたのでしょう。
私事で恐縮ですが、私が初めてカラオケで唄ったのが『愛しのエリー』。サザンは今も昔の当時のバンド仲間のまま。同じ顔ぶれだというのですからスゴイ。驚きです。日本語なのか外国語なのかよく分らない不思議で“変”な響きが特徴。作詞・作曲ともリーダー桑田佳祐(ボーカル・ギター)。作詞をよく聴くと変哲のない恋物語。日常茶飯事の様子ばかり。まるで“ラップ”に似た独り言。それを印象深いメロディーに乗せて唄う。どこかで聞き覚えのあるメロディが多い。40年間、絶えずメガヒットを出し続ける。エネルギーはどこからどのようにして生まれるのか。天才ですね。
■ 地元の夏祭り 世代交代の波が… 18/08/25
アジア大会。池江フィーバーに沸いた水泳が終わり、今日から陸上。早朝スタートの男子マラソンを観て、事務所へ。
今日は地元の夏祭り。昼過ぎ、遠くでお囃子が聞こえ出した。次第に神輿の掛け声が大きくなってきた。掛け声に引き寄せられ、見に行く。担ぎ手は若い世代が多い。中にはママは粋な袢纏、パパは子連れでポロシャツ姿。そんな親子もいた。日焼けしたオジさんたちは神輿の周りで手持ちぶささ…。ここにも世代交代の波が押し寄せているのでしょう。神輿は見ているだけで心が騒ぐ。幾つになっても夏祭りはイイですネ。
■ どんなヒトがどんな暮らしをしているのか 18/08/24
荒海の岩の上にこんな家(別荘?)を建てるとは…。どんなヒトか。どんな生き方をしているのか。日頃は何をしているのか。当然、自前のヘリがあり、自分で操縦できのかも…。
どうやってこの岩を所有できたのか。どのぐらいお金がかかったのか。この国の不動産の法律はどうなっているのか。余計な事ですが次々に疑問が湧いてきます。世の中には“想定外”のヒトがいるものですネ…。
■ 縄文特別展 美のルーツ 8/08/22
夏休み最終日。上野・東京国立博物館へ。縄文特別展。日本人のルーツ、縄文の美。国宝6点をジックリ観察。と言っても、館内はかなり込みあっており、超有名な展示品の周りは大混雑でした。子どもの頃、授業で習ったあの土器や土偶ですからネ…。止むを得ません。
今から1万3000年前から日本列島に住んだ縄文人。音声ガイドによれば縄文人の暮らしぶりはまだ謎が多く、多彩な造形が数多くあるとのこと。土器や石器、土偶や装身具の数々。お洒落でセクシー。素晴らしかった。
縄文展に隣接した考古展。こちらは撮影OK。稲作を始めた弥生人たち。鉄器など数々の武具が出始める。戦いの時代です。富める者と貧しい者との格差が生じる。やがて集団化へ、組織化へ。弱小国が強国に吸収併合される。卑弥呼たちが登場。古墳時代を経て、大和朝廷へと発展するワケです。
縄文文化の頂点に位置する三内丸山遺跡(青森)。いつか行こう。この目で観よう。そう強く思いました。
縄文特別展で感じたこと。“縄文”の由来は素焼きの土器表面に紐の網目で文様を描くのが特徴。それが名称になった。が、その網目や描き方が何と100種類以上あるとのこと。縄文後期になると平面から凹凸面へとデザインが複雑に変化。拘りのある細やかな造形美。土器の役割は食材の保管と煮炊きの容器です。なのにも関わらず、それに個性豊かな文様を描く。日常品に敢えて造形を加え、豊かに彩る。心の豊さを感じます。素晴らしい。
最も感動したのは櫛(くし)。手間暇かけて薄く削り、更に漆を塗って補強した品。1万年前、女性たちの“身だしなみ”の光景が目に浮かび、胸が熱くなりました。
心を豊かに…。美のある生き方を…。そう強く思いました。
■ 甲子園野球 スポーツは人生の縮図 18/08/21
もしや…東北に初の優勝旗が…。そんな期待を以てTV画面の前に陣取りました。あと一歩及ばす。残念でした。
スポーツで最も重要だとされるのが、勝敗を超越した戦いぶり。最期まで諦めない姿勢。結果が出たら、勝者は敗者を労い、敗者は勝者を敬う。フェアプレーの精神。スポーツマンシップの潔さです。
もう一つ重要なのが、記録(データ)と儀式です。正確で克明な記録を後世に残すこと。そして、戦いの始め方と終わり方です。特に始め方よりもむしろ終わり方にそのスポーツが目指す目的と目標。ミッションの全てが凝縮されています。今日の“甲子園”閉会式、とても感想的でした。総括→表彰→挨拶→降旗。各管理監督者の短い言葉の中に、その重さがグーッと胸を打ちました。
スポーツは人生の縮図。濃縮された早送りの人生ドラマの数々。勝って良し、負けて良し。人生のリハーサルです。お疲れ様でした。
■ 日暮里で会食 田中義懸さん 18/08/20
東京・日暮里で田中義懸さんと会食。担々麺の名店へ。見た目ほど辛くはない。が、味が深い。美味しかった。担々麺の次は甘味。日暮里の名物だんご。長く世間から支持される味はあっさりしていました
■ 甲子園野球 変化球の種類の多さ 18/08/18 2
関東の名門校が次々に消えて行く中で秋田の県立校がベストエイトへ。TV観戦しました。野球はド素人ですが何故か甲子園は面白い。TV解説者が使う用語がイマイチ解らない。知っているのはストライクとボールぐらい。チェンジアップ、スライダー、スプリット、カットボール等…。変化球の種類の事らしいがどんな軌道を描くボールの事を言っているのがサッパリ分らない。皆同じように見えます。
何と秋田の公立校がベストフォーへ。それも最後の最後での劇的な勝利。勝敗は時の運と言います。勝ち負けは紙一重なのですがスポーツは無常にも残酷な結末を出す。だからこそ数々のドラマが生まれる。夏休み、甲子園を楽しんでます。ガンバレ東北。
朝からビール。休日か(?)と思いきや…。出産前に同僚と一杯飲んでシャージアップ。そんな女子たちで朝から賑わうビール店がTVニュースで紹介されていました。出社、始業前にビール一杯OK…。そんなユル〜イ会社もある…。要は朝のスタートダッシュに効果があるのなら、ビールであろうが、いいではないか。仕事へスイッチオン!
これも「働き方改革」の一つなのでしょう。出社前か、退社後か、好き嫌いは別として、日本人のビジネスライフが変わり出している。
■ 原爆投下日を決めた理由 18/08/15
1945年8月15日。昭和天皇はラジオを通じ、日本の降伏を国民に伝えた。満州事変から日中戦争、太平洋戦争へと拡大した戦争は15年におよんだ。日本の戦没者は軍人・軍属230万人、民間人80万人。アジア・欧米諸国にも多くの犠牲をもたらした。今日は73回目の終戦記念日です。
何故この日だったのか。その原因は広島(8月6日)・長崎(8月9日)の原爆投下だったことは周知の事実です。では、何故、原爆投下されたのか。その本当の理由は日本政府のトップシークレットとされています。
2年前、ポーランドを訪れる機会がありました。戦争博物館へ。ヤルタ会談(1945年2月)の展示コーナーがありました。戦後日本の統治に関する記述を読んで愕然としました。戦争基軸国ドイツとニッポンの戦後処理のレジュームが話し合われたヤルタ会談。天皇は処刑。日本はドイツ同様に国内を二分割(北海道と東北はソビエト領)にする…と。が、ソビエトは焦り意外にもフライングを犯した。終戦前に満州へ侵攻(1945年8月)。次は北海道へ。2個の原爆がソビエト侵攻に決定的なストップを告げたのです。広島(死亡14万人)・長崎(同7万人)が北海道・東北を救った。8月15日はそんなタイミングだったワケです。
昭和天皇は生かされた。北海道・東北にソビエトは入ってこなかった。
興味のある方は こちらへ ↓↓↓
https://www.aqua-adi.co.jp/info/30602.html
ベルリンの壁が取り払われたのが1984年。39年間、ドイツは東西に分断されていた。沖縄返還が1991年。26年間です。沖縄の通貨は米ドルだった。事実上、ソビエト支配下だったポーランドはどうか。真の独立国になったのが1991年ですから、何と46年間も“植民地”だった。
歴史に“もし”はないと言うが、広島・長崎がなかったら、8月15日でははなかったら…。日本はどうなっていたのでしょうか。仮に10日間、降伏の“決断”が遅れたら、北海道は“北方領土”と化していたに違いない。もし、8月15日の玉音放送が10日間遅れていたら、日本の国土面積はかなり違っていた。今さらながら知るのみです。
■ 国内総会 無事終了 18/08/14
二年に一度のアクアの祭典。第13回アクアフィットネス国内総会(8月11~13日)終了。受講者の皆さま、講師の皆さま、そして、ボランティアスタッフの皆さま、お世話になった全ての皆さまへ。心から御礼申し上げます。ありがとうございま
した。
詳しくは こちらへ ↓↓↓
https://www.aqua-adi.co.jp/special/34853.html
狭い事務所。国内総会向けの備品類で足の踏み場もありません。毎度の事ですが、この時期、私は“粗大ゴミ化”します。イヤこの時期でなくてもそうです。口は出さす、手も貸しません。余計な事はしません。皆のジャマになるだけ…。静か読書に耽っています。
■ 子供の頃 夏の思い出 18/08/08
今夕、横浜は台風接近とか(?)。大雨予想。故郷仙台の一大イベント「七夕祭り」。今日は最終日。今年の天気はどうだったのでしょうか。今年も雨だったのかも知れませんネ。
さて、私は生まれも育ちも仙台。それも中心地でした。同級生には“商人”の子弟が多かった。遊び仲間には文具店の子ども、紳士服店の子どもがいました。七夕祭りの3日間。我らはチームを組み、絵ハガキ売りのバイトをしました。繁華街のど真ん中の道端で子ともが“商売”する。仕入は文具店。売り場は洋服店の脇。珍しかったのでしょう。飛ぶように売れました。中学へ行ってからも続けましたが、年々、チーム力は弱まり、解散。同級生の女子と会うのが恥ずかしくなったからです。色気付いたと言う事でしょう。
夏休み中、我らチームは好きな物を買い、好きな物を食べ、大満足でした。子供の頃の夏の思い出です。
■ 仙台名物・元祖牛タン18/08/07
仙台へ行ったら太助の牛タン。今でこそ東京にも大阪にもある牛タンの名店。が、何と言っても元祖は太助(国分町)です。私が子どもの頃、飲み屋街の路地の一角にあった。小さなお店でした。頑固な親父さんが焼いてくれた。麦飯とテールスープがワンセット。太助の跡取り息子とは小学校同級。“宿題”を名目に遊びに行くと時々牛タン丼に有り付けた。旨かった。
昨日、仙台へ。久々に牛タンを食べたい…思い立ち行ってみました。長蛇の列。「かなり待つよ」と言われ、新幹線の時間もあったので諦めました。次の機会に…。
■ おしどり夫婦とのお別れ 18/08/06
日帰りで故郷仙台へ。義姉の葬儀。享年84歳。5年前に夫(私の兄)が他界。寂しい日々だったでしょう 。周囲が羨む“おしどり夫婦“でしたので、今頃、手を取り合って再会を喜びあっている事でしょう。兄に宜しく。安らかにお休み下さい。合掌。
仙台駅は大混雑。今日から3日間、名物の七夕祭りとの事。どうりで小雨模様でした。今も昔もこの日々は雨が多い。
■ 夏の一大イベント・カウントダウン 18/08/04
今日も猛暑日。救急車のサイレンが遠くで鳴っていました。熱中症で搬送されているのかも知れません。
さて、来週の今日、国内総会初日です。いよいよ開催です。始まれば“あッ”と言う間…。この3日間、講師もスタッフも慌ただしく動き回ります。受講者の方々も講義棟とプール棟の行き来で忙しい。受講する方々の日頃の仕事内容は意外にも“孤独”。何もかも独りで行うケースが多いからでしょう。時にアイディアに枯渇したり、自信が揺らいだり、自分の存在感が薄れる時もある。そんな時、国内総会は自分を取り戻す絶好のチャンスです。モティベーションが高まります。
日頃お会いすることが少ない仲間たちと出会えます。遠い存在と思っていた講師の方々と親しく話せる。身近な存在に思えてくる。そんな最高の3日間にしましょう。会場でお会いしましょう。
■ 甲子園野球 我が一族のヒーロー 18/08/03
今年の甲子園、何と100回記念とのこと。昨夜、TV特番で過去の名勝負や高校球児のその後の人生など、感動的なドラマの数々を観ました。やっぱりベースボールと野球の違いを実感しました。
我が家系の中にも甲子園の土を踏んだ“高校生”が一人います。私の甥です。当時、私は海外に居たので親戚筋の大騒ぎぶりはよく知りません。彼はキャッチャーなのでTV画面に顔が映りにくい。孫の顔が見えなかった私の父はとても残念がったと後日聴きました。よい冥途の土産話になった事でしょう。
今頃、我が家系と同じ家中大騒ぎしている人々がたくさんにいるに違いありません。貴重な青春の息吹。悔いのない戦いを…。プレーボール。
■ 人生の道しるべ 18/08/01 2
【あ】「ありがとう」は何度言っても良いこと |【い】「忙しい」と言う人は頼りにならないこと|【う】運を引き寄せるためには努力し続けること|【え】笑顔は最大の武器であること|【お】お礼はすぐにすること|
【か】学生時代の友人を大切にすること|【き】今日から始めること|【く】苦しいときこそ諦めないこと|【け】健康を当たり前と思ってはいけないこと|【こ】心を鍛えるには体を鍛えること|
【さ】最低限のお金がないと自信を失うこと|【し】叱られるのは20代の特権であること|【す】素直になること|【せ】成功談よりも失敗談から学ぶこと|【そ】外に目を向けること|
【た】他人の意見は無責任であること|【ち】小さなことで大騒ぎしないこと|【つ】強がらなくて良いこと|【て】できないと言う人は必要ない人であること|【と】どんな状況でも家族は裏切らないこと|
【な】涙を流すのは恥ずかしくないこと|【に】人間は弱いこと|【ぬ】抜かりなく準備すること|【ね】熱意があれば、人は動いてくれること|【の】残り時間を意識すること|
【は】早く失敗して、早く改善すること|【ひ】一人で頑張るのには限界があること|【ふ】プライドなんて持っても意味がないこと|【へ】偏見に出会ったら断固として戦うこと|【ほ】本当にやりたいことに集中すること|
【ま】迷ったらすぐにやってみること|【み】みんなという言葉に安心しないこと|【む】群れずに「違い」を意識すること|【め】目上の人に甘えてもいいこと|【も】目的がない行動は無駄であること|
【や】やり直すのに遅いことはないこと|【ゆ】勇気は体験から生まれること|【よ】余裕がないと人を傷つけること|【ら】ライバルがいたほうが良いこと|【り】リラックスを心がけること|【る】ルールを破っても良いこと|【れ】冷静になって考えること|【ろ】ロマンを忘れないこと|
【わ】わかっているのとできるのは違うこと|
出典 20代の時に学んだ「あかさたなはまやらわ」の法則 by 永 六輔
■ 語りの極意 18/08/01
|難しい事を簡単に|簡単な事を深く|深い事を面白く|
語りの“極意”として今も広く引用される永六輔の名言です。タレント、随筆家、放送作家、作詞家。多彩な顔を持つ昭和を代表するマルチな知識人。2016年没。享年83歳。「知識がありゃいいってもんじゃない。その知識を生かす智恵がなければタダの物知り…」と言っています。
難しい事を専門用語を多用して語るヒト。よく聞いてみると、意外に詰まんない内容なのに、勿体ぶった語りでクドクト言うヒト。結局、このヒトは自分を自慢したいだけか…。何を言いたいのかよく解らない。そんなヒトにならない為に、時々、この“名言”(易しく・深く・面白く)を思い出しましょう。