今日で6月が終わります。今年の半分が過ぎた。コロナパンダミックスに翻弄された前半でした。後半も同じかも…。この環境変化を受け入れ、粛々と過ごします。
さて、TVドキュメント番組で観た沖縄の音楽グループ「ネーネーズ」。情緒豊かな独特の楽曲の数々。ウットリ…。感動しました。アッそうだ以前石井さん(県水連元強化委員長)が大フアンだと聞いた。石井さんに感動した話をしました。何と今日、CD数枚を持参して来社。久しぶりにランチを食べ、自慢のCDを聞き、ネーネーズの話を沢山してくれました。
実は、AD研が発足当初、沖縄へ年数回は通いました。某スイミングスクールが大人向けのフィットネスクラブを開設することなり、アドバーザーとして側面から運営のお手つだをしていたからです。が、毎回、終日会議。何度かステーキを食べに連れられた程度。前夜入り→会議→翌朝東京へ戻る。さほど忙しいワケではなかったのですが、新星コンサルタントの“売れっ子”のフリをしていました。浅はかですね…。
ネーネーズの発足が1990年とか。私が沖縄通いをしていたのは1980年代後半。ネーネーズはまた活動していない頃になります。石井さん曰く、初代【写真】がイイらしい。今は5代目とか…。私が観たドキュメント番組は5代目の演奏活動だったのでしょう。
思い込み、自分勝手な見方や思考、迷路から抜出せない頭の硬さなど。大人は下手に知識や経験があるだけに様々な呪縛から抜け出せない。そんな悩みを抱えた大人にカツンと一発、水を浴びせられる一冊です。
子供向けに書かれた本なのですが、大人が読んでも為になる。イヤ、大人だからこそ読むべき本と言えます。子供の時のように何事にも疑問に思う。決めつけない。新鮮な目で見る。手足を動かして考える。どうして今までそこに気づかなかったのか。そんな目で見なかったのか。そう考えなかたっかのか。大人の固定概念や視野の狭さを痛感させられる本です。
Withコロナ時代。今だからこそ、この一冊。シンプルでクリアや思考力や発想法が沸いてきます。これまで通りが通用しなくなったこれからの時代です。見方も考え方も変えねばなりません…。お勧めします。
今更、そう言われても…と言うのが本音。今年は9ヶ国へ行く予定でした。台湾(3月)→タイ(4月)→米国(5月)→米国(6月)→コスタリカ(7月)→オーストラリア(8月)→スペイン・スイス・フランス(9月)→チリ(11月)。全てコロナ・パンダミックスでキャンセル。私は後期高齢者です。年々、海外への長旅は億劫になりつつあります。今年は「新しい生き方」を考える良い機会になりました。
南米へ。機内に24時間はいる。以前は空席が多く、ゆったりしていた。機内食もお国柄で異なり、結構旨かった。が、近年はほぼ満席。共同運航するフライトシェアリングが普通になりました。機内食は世界中ほぼ同じ。会社のお偉いさんは自社の機内食など一度も口にしたことはない。コスト…コストで“儲け”最優先。ぎゅうぎゅう詰めの機内でローコストの機内食を食べる。半分食べでギブアップ。このWithコロナ時代にどうかわるのか。上層部のお知恵拝見。少し楽しみ…。
初体験。Zoomでのリモートミーティングにチャレンジしました。スピーチ途中に地震(4時45分頃)。少し慌てましたが無事終了。ホットしました。
参加者は英語圏のアクアセラピーのプロ。アイチやメリディアン(経絡)は私以上に詳しい人たちばかり。なので“切り口”を変え、経絡のベースになった指圧の発達経緯について私の知っている事をスピーチしました。平成→令和の世の中ではあまり知られていない事ですが、指圧の発展に尽くした二人の功績と理論を紹介しました。一人は大正末に活躍した玉井天碧。指圧の父。按摩と言われていた伝統的な手技を指圧と言う現代的な施術へ変革したヒト。もう一人は昭和に活躍した芹沢勝助。東京盲学校長。筑波大名誉教授。指圧界でただ一人翠綬褒章を受賞したヒト。多くの視覚障碍者に指圧を教え、彼らに自立の道を拓いた。ご本人も弱視障碍者だった。
日本での浪越。海外での増永。彼らは国内外の指圧界のヒーローです。が、ヒーローの陰にいた重要な人々の事を知ってほしかった。うまく話せただろうか…。分かってくれただろうか…。つたない英語力ですから心配です。
事務所でのランチタイムの話題。今を時めく二人の「男」。維新の党を立ち上げた橋下さん。と、知識万能の林さん。歯切れイイ言い方。ルックスの良さ。若者にフアンが多い。
TV番組で若者たちに「人生の生き方」を説いたとか。橋下さんは“燃焼しろ”と、 林さんは“好きな事しろ”と強調したらしい。意義なし。
人生は結果。過去のどこかにその原因がある。それが偶然なのか必然なのか。誰にも分からない。とにかく、好きな事を見つけ、燃焼効率を高め、必死にやる。ただそれだけ…。
田中さんが何度目かのプレゼンターに選ばれた時。自転車事故。頸椎損傷で入院。渡米はムリ…。先方の都合もあるので辞退は早いほうがイイ…。私はそう判断。病院へお見舞いに。が、田中さんは意外な事を言い出します。「こんな事でチャンスを逃したくありません」「渡米までには必ず治します」と…。事実、退院後、得意の気功で猛特訓。主治医が驚くほどの回復を見せます。そして渡米。さすが機内は気圧が変わるのできつそうでしたが、現地でのプレゼンテーションは大成功でした。弱気になった自分を反省しました。
ピンチをバネにチェンスの足掛かりとする。田中さんの前向きな姿勢と考え方。今もあの時の病室でのあなたの言葉は忘れません。
数日後、明け方。米国フロリダで開催中の講座に急遽リモートで参加することになった。勿論、初体験。ちょっとドキドキものです。少しでも“見栄え良く”と詰まらない事を考える。
PC用のリモート部品(カメラ・イヤホン・マイク一体型)を買いに大手の電気量販点へ。売れ切れ。入荷予定ナシとか…。リモートワークの人々が一気に買い求めたからでしょう。折角なのでワイヤレスステレオセットなる品(Bluetooth)を購入。早速、ペアリングとやらを試みた。iphoneは出来た。が、iPadもPCもダメ。電話でご指導を受けたが訳が分からない。結局、手持ちのラップトップ内蔵のリモート機能で行うことにしました。
スピーチは見栄えの良し悪しで決まるワケではない。リモートであろうとなかろうと、大事なのは中身。何を話すか。どう話すか。要するに“コンテンス”とやらが良くなければ何をどうやろうと始まらにない。そう考えたらイライラが収まりました。
話す内容をジックリ考えます。
誰が誰だか分かりますか。1994年7月、第1回アクア国内総会。26年前。皆さん、若いですね。場所は東京ガス金沢八景総合グランド。横浜駅からJR根岸線で新杉田駅へ。そこから金沢シーサイドライン(モノレール)に乗り換え、幸浦駅へ。下車・徒歩10分弱。こんなロケーションにも拘わらず全国から沢山の方々がご参加くださいました。
1年前から準備。実行委員会の会則づくり。役員を募集。ミーティキング。講師選考、依頼。何もかもが初めてでした。手探りでした。幸い、東京ガス関連会社の協力を得て、会場をお借りできました。今はこの施設は取り壊されたらしい。思い出の一大イベントでした。
たまには事務所の掃除もイイものです。こんなお宝の資料が発見できるのですから…。
スペインの首都マドリッド(スペイン)から車で1時間強。エプリマ・デ・エピレティコス病院。リハビリ病院としては世界最古の一つ。200年の歴史がある。日本でいえば明治時代から身体障害者向け運動療法をしていた。広大な病院敷地の中に立派なセラピープールがある。2016年、初のアイチ認定講習会を行いました。
今年9月、同講習会が予定されていました。が、コロナパンダミックスで中止。来年へ延期です。
詳しくは こちらへ ↓↓↓
https://www.aqua-adi.co.jp/info/29289.html
スペイン・ドイツ・スイスは第一次世界大戦の頃には今とほぼ同程度の水中運動療法が行われていた。運動治療への理解が深い。何とイギリス領だった香港にアジア最古のセラピープールがあります。こちらは第二次大戦後まもなくオープンしたようです。世界は広いですネ。
詳しくは こちらへ ↓↓↓
https://www.aqua-adi.co.jp/info/25382.html
母の日(5月10日)はバラの花。父の日(6月21日)はウナギの蒲焼。これが定番ですね。思っただけで唾液が…。食べたいネ~。“血”が騒ぐと言うのか…。
実は、200年前、城下町仙台の下町、荒町の毘沙門天の角地に「梅林」と言う屋号のウナギ割烹料理店があった。店主は今野和吉。4代前の私の祖先です。もともとウナギ料理は鹿児島のソウルフード。明治になると仙台に「第二師団」が置かれ、代々師団幹部は鹿児島出(島津藩)の軍人たち。梅林は繁盛したらしい。ウナギの蒲焼には祖先の香りがします。年に一度、今年も食べます。
偉いヒトが罹りやすい5大“病気”。一つ病むと次々合併するらしい。恐ろしい病です。
権限・権力・権威を持つとジワジワと病が忍んで来る。偉くなくても時にこの種の持病を持つヒトもいる。山あり谷ありの人生です。途中で病に罹るかも…。お互い気を付けましょう。
ところで、国会議員には“不逮捕特権”という便利な制度がある。が、国会終了で逮捕があるかも…。エリート夫婦議員は修羅場です。好感度バツグンの筈の若手芸人も修羅場。こちらは薄汚いゴシップ騒ぎでお先真っ暗…。どこかで病に侵されたのでしょう。
コロナパンダミックス最終章アフリカへ。手洗いどころか水道も石鹸もない。いったいどうしたら感染防止できるのか。スーダンやナイジェリアの難民キャンプは世界で最も貧しいエリアです。衛生環境が劣悪な中で暮らす子供たちにも新型コロナ感染が容赦なく襲っている。
国境なき医師団へ、わずかかばかり献金しました。わずかなお金では「焼け石に水」…。承知の上です。が、何もしないよりは少し気が楽です
Withコロナ時代。アクア指導者はどうあるべきか。どこをどのように変えねばならないのか。考えています。悩んでいます。世はリモート大流行ですが、リモートは詰まんない。楽しくない。こんな手段で優れた人材が育つ訳がない。か、と言って、インターネットの活用なしでは今後はムリ。さて、どうすべきか。
過日、終日テレビ三昧。が、番組が詰まらない。各局ネーミングが違えとも内容はほぼ同じ。4つのカテゴリーのみ。つまり、トーク・お笑い・クイズ・食レポ。総編集と称する「特番」が多い。が、どれも面白くない。視聴率が低いらしい。多分、この現象は他分野でも同じであろう。これまでの定番的な人気が通用しない。世の中の変化が速く、大きい。
「これまでの養成コース」と「これから…」とでは違う。リモートやインターネットを無視はできない。が、アクア指導者の内容が変わる。考えましょう。
拉致被害者に寄り添った安倍政権。何もしなかった…と批判のコメントを言う野党議員や政治タレントたち。めぐみさんの実弟が「これまで何もしなかった方が今更安倍さんを批判するのは卑怯だ」と言う。確かにその通りです。
北を二度訪問した小泉時代。5名生還。それに比べて安倍時代はどうか。結果なし…と言う。小泉時代の北は偽ドル製造を国家がした。貧困。農作物の不況で餓死者がでた。カネが欲しかった。が、その後、中国の大発展をバックに潤沢な援助を得た。核開発に成功。中長距離弾道弾の製造に成功。潜水艦からミサイルを水中発射できようになった。つまり、米国を直接爆撃できる。ワシントンDCが射程内に入った事を意味する。米国は慌てた。金ファミリー体制の破壊より存続を考えるように方針転換した。北も交渉相手は米国のみ。日本は相手にしない。安倍時代「何もしなかった」のではなく「何もできなくなった」のです。この20年間、北は“想定外”の変化をした。私はそう思っています。
TV国会中継予算委員会を観ました。例の持続化給付金の手続き構図の攻防です。どのような“言い訳”をするのか興味深々。が、サッパリ分からない。苦しい答弁。分かった事は一つ。ダミー会社(元官僚天下り先)を介して電通へ丸投げする。当初から決まっていたと言う事です。
何故か。その背景には東京オリンピック「中止」がある。政府は3月に腹を決めた。今回の給付金業務の一切を電通へ。その意味は電通が取り仕切る筈だった東京”。その中止のお詫びがこの仕事。私はそう解釈しました。
確かに東京オリンピックの開催運営を“丸投げ”できるのは電通しかない。日本最大手の「広告界のガリバー」。世界規模でも第5位。国内業界第2位の博報堂とは売上規模で5倍の開きがある。電通に「出来ない仕事など何一つない」と言われる程です。
電通に丸投げ。これで東京オリンピック開催が事実上なくなった。
子の幸せを願わない親はいない。ましてや娘を思う父…。流した涙が切なかった。北を二度訪韓した小泉元首相。滋さんの死去に「残念だった」と一言。万感の思い。
確かに「願い」は叶わなかった。が、悔いのない精一杯の人生だったに違いない。何せ日米トップまで動かしたのですから。そして、数百万人の人々に語り掛け、握手した。奥さんからの最後の言葉が「私を忘れないで…」だったとか。忘れるものか…ときっと心で呟いたに違いない。どうぞ安らかにお休みください。合唱。
今日、横浜は30度超え。明日から梅雨入りとか。今夏は暑いらしい。加えてコロナでマスク着用。熱中症に気をつけましょう。
出社時、コンビニを覗くと大好きなスイカバーが…。初物です。旨かった。
近年、夏限定でスイカジュースが売られています。これも絶品の味。夏の楽しみの一つです。
北朝鮮日本人拉致の象徴「横田めぐみ」さんの父親滋さん死去(享年87歳)。全国で拉致解決の講演会を1400回。署名活動は100万人。が、政府は具体的に動き出す術を見出せなかった。何も出来なかった。娘の生死不明のまま波乱の半生を終えた。無力感。虚しさだけが残ります。
唐突ですが、憲法の3本柱(国民主権・公共福祉・平和主義)の一つでも他国の外圧で侵されたらどうする。憲法は戦前のファシズムと軍国主義の反省がベースになっいる。が、外圧で侵されたらどうする。現実を見ない。想像しない。観ないふりをする。それが平和国家(?)だ。百歩譲って、万一、外圧があったら…その時は“ゴットファザー”(USA)に泣きを入れる。何とかしてくれる。そう思っている日本人が多い。が、拉致は主権が侵された一例です。過日、自動車会社のカリスマ経営者が“密出国”した。これも公に主権が侵された一例なのです。
さて、1980年前後に拉致が多い。目的は何か。次第に分かってきた事は意外にも北は換金目的の“人質”として拉致した。やがて商品価値が最も高いのは横田めぐみさんだと分かる。それが北の条件なら…と言い値で買ってやろうではないかと商談交渉に踏み切ったのが小泉純一郎首相。北は慌てた。欲張った。生死不明にして置けば、値をもっと吊り上げられると判断した。その後、北のリーダーが死去。商談は暗礁に乗り上げたまま…。そして、桁が違商う高額商品(核とロケット)の開発に成功。商談相手も米国となり、日本は相手にされなくなった。それが実態ではないでしょうか。
湾岸戦争の時、ゴッドファーザーからヒトを出せと言われた日本。平和主義を盾にヒトではなくカネを出した。が、世界的に大ブーキング。次々、カネ目当ての人質交換に迫れた。急遽、政府は方向転換。その結果、イラクで斬首されたフリージャーナリスト安田純平さん、アフガニスタンで銃殺された医師の中村哲さん。など、思わぬ結末が出た。政府は急に“自己責任”なる言い訳を言い出す。訳が分からない。誤魔化しです。人質(日本人)を国(日本)が見捨てたのです。
今回、さすがに自己責任とは言わない。が、半ば“見捨てた”と言われても反論できない。どうするニッポン。どうなるニッポン。
外から見る日本。内から見る日本。日本の価値がまるで違う。上に行けば行くほど、日本人の質が悪い。下に行けば行くほど質がイイ。「変」な国になっています。
全米各地で起きる黒人差別に抗議する人々の動き。一人握りでしょうが暴徒化。テロとさほど変わらない。が、日本ではどうか。二つの大災害の時も人々が暴徒化することはなかった。貧しいヒトほど我慢強い。良識がある。節度を守る。それが日本人の誇りです。が、しかし、この国の投票率の低さは異常です。特に若者が政治に関心がない。他人事。これではダメ。まず若者の投票率を上げる。この国を良くするにはここがスタートラインだと思うのです。
東京オリンピック開催に必要な運営費用1兆3500億円。1年延期すると追加費用が6400億円。過日、IOCが追加費用のうち2700億円を負担すると発表しました。が、差額3700億円は日本側で負担しなければならない。と言う事は1年2ヶ月後に開催するには1兆7200億円かかることになる。どう考えてもムリでしょう。そのお金があれば一人10万円の給付金(1兆2000億円)、第二弾が余裕で出来る。Withコロナ時代が始まるこれからの日本。もう一度、頭を冷やして東京オリンピックを考えましょう。
日本人一人ひとり(私を含め)の“事なかれ”。政治家の関心のなさ、力の弱さ。無力感。痛感します。2016年2月、米国軍特殊部隊をピョンピョンへ。トランプさんが決断寸前まで行った。今にして思えばあれが横田めぐみさんをご両親が抱きしめる唯一のチャンスでした。他力本願の日本。情けない。申し訳ない。合唱。
コロナパンダミックス。医療危機の主戦場が南半球へ。北半球は経済危機の主戦場へ。リーマンショック以上の不景気、倒産と失業者の急増、インフレ再来、金融資本主義の限界など…。脅迫気味な“専門家”の声が聞こえてきます。が、株価は徐々に回復傾向。何がどうなっているのか。よく分かりません。
日本の近代史では80年刻みで大きな時代の変化が来る。が、庶民の英知と底力で乗り切ってきた。例えば、廃藩置県の明治維新。無条件降伏からの戦後復興。そして、80年サイクルの今回。これまでと大きく異なるのはグローバルなパラダイムシフト(時代の枠組みの変化)だと言うことです。過去に日本人が経験してきたバブル崩壊(1991年)、リーマンショップ(2008年)、そして二度の大災害(阪神淡路・東日本)。これまでと比べ、シフト幅がどの程度なのか。そこがよく分かりません。
今回のコロナパンダミックスが起きる前から気の早い未来学者たちは「2030年までに世界は大きく変わる」と言ってきた。特に日本の場合、戦後生まれの“団塊の世代”(実はワタシの世代なのですが…)が後期高齢者になる2025年がターニングポイントだと言われてきました。さて、世界的なパラダイムシフト。どのような変化なのか。その代表が次の9つ…。
【人口動態】貧困国の人口急増と寿命の伸び。
【大都市化】人口の3分の2は都市に住む。
【透明性】人々の動きは追跡・監視される。
【気候変動】異常気象が多発する。
【資源不足】リサイクル型の再生品が多くなる。
【環境保全技術】ゼロ炭素型の再生可能エネルギーが増える。
【テクノロジー・シフト】IoTとAIが人間の知性を超える。
【国際政策】富の不平等の格差が広がり、国際的な連携と協調が必要にある。
【ポピュリズム】大国の独裁的な一国主義が強化される。
今回のコロナパンデミックで世界の変化が10年早まった。そんな印象があります。どうするニッポン。どうなるニッポン。
ポストコロナで世界はどう変わるのか。誰も分かりません。考えるしかない。
『愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ』とよく言います。歴史を見れば次の時代が見えてくると言うのです。Withコロナ時代どう生きるか。
|心が変われば行動が変わる|行動が変われば習慣が変わる|習慣が変われば人格が変わる|人格が変われば運命が変わる|
ブラジルの冷やし中華+餃子。手帳で調べてみたら2005年でした。この年は海外での仕事が多く、忙しかった。手帳のメモ書きを見て、その時の光景が浮かんできた。一つはピザ。イタリヤに面したスイスの湖畔の避暑地スガルノ(写真)。滞在最終日。何を食べたいと聞かれたので「もちろんピザ…」と答えると町一番のピザ店へ。ピザ窯の前に立っていたのが日本人の若者だった。ピザ職人のコンテストで賞を取ったとのこと。年季明けたがマスターから帰国の許しがでないと嘆いていた。父が待つ北陸金沢でピザ店経営が夢とか。さずがに旨かった。今頃、金沢で父と一緒に人気ピザ店をしていることでしょう。
もう一つフォー(麺)。旧正月で沸き立つベトナムのサイゴン(ホーチミンシティー)を訪れた(写真)。ホテルのフロントマンから「近くに有名な麺店がある」と聞いたので出かけた。厨房で作っていたのは日本人の若者だった。まだ日本人観光客が少ない頃です。彼も同じ、つまり“年季開け”だかオーナーから帰国許可がでないと嘆いていた。今頃はどこかの街で評判のベトナム料理店をしているのかも知れません。
過日、TVニュースでパリにあるフランス料理店。日本人シェフの店としては世界初。ミュランガイド三つ星店になったと報じていました。「それがどうした…」と言ってしまえば身も蓋もない。ピザと言い、フォーと言い、本場で修業。本物の味を日本へ持ち帰る。そんな若者の心意気が嬉しい。ガッツがイイ…。
久々に「餃子の王将」へ。南米ブラジルで食べた思い出の“日本食”<冷やし中華+餃子>を食べました。美味しかった。
ブラジル南部の港町ポルトアレグロと言うドイツ風のロマンチックな街があります。縁がありブラジルは数回訪れている。が、ポルトアレグロは一度だけ。講習会の中日の休日。ホテル周辺で昼食とブラ歩き。目についた“餃子の王将”という看板。ロゴも同じ。こんな街にも出店しているのか…と思いきや、店主はブラジル人。王将とは無関係。訊いてみると大阪の大学に留学中、王将でバイト。卒業後も数年で働いたとか。帰国時、オーナー(創業者?)からロゴ使用の許可を直々に頂戴したと誇らしげに語ってくれました。お勧めはと訊くと<冷やし中華+餃子>とのこと。「旨かった」と褒めると“ブラジルで一番うまい”と自慢げでした。小さな店舗のブラジル港町の「餃子の王将」。今も営業しているのだろうか。
ちなみに私の生まれ故郷、東北の仙台。今でこそ全国どこでも食べられる冷やし中華と牛タン。仙台が発祥の地です。
>王様 この件 いかがしましょうか…
>予は よくわからん よきに計らえ…
>御意
官邸にいる安倍さんのお気に入りスタッフたち。日頃からこんな会話をしているのかも知れません。安倍さんは正に「裸の王様」ですネ。
森友・加計疑惑。桜を見る会。河井前法相夫妻のスキャンダル。そして今回、黒川検事長の賭けマージャン。コロナショックでテレワークや外出自粛でストレスが多い中、人々の不満が一気に爆発。支持率が急降下。安倍内閣、もう長くは持ちませんネ。
次は誰が…。日本にリーダーいるのか。衆議院465人、参議院248人。日本には713人の国会議員がいるらしい。が、問題はトップに立てる方。何人いるか。それが見当たらない。野党はダメ。理屈大好きで無責任。与党はどうか。親子代々の毛並みの良さだけが売り。“よきに計らえ”の裸の王様ばかり。これまた頼りない。どうなるニッポン。どうするニッポン。
WOWOW韓国映画『タクシー運転手/約束は海を越えて』(監督byチャン・フン)を観ました。今年、アカデミー賞4部門を独占した『パラサイト半地下の家族』名監督の作品です。1980年5月、韓国軍と市民が民主化政策で衝突。死傷者多数。軍事政権下で起きた光州事件の全容です。実話。中国の天安門事件(1989年6月)に先駆けること9年前です。ドイツ人記者が戒厳令で封鎖中の光州へ。殺伐とした市内。危険を顧みず現場の一部始終を動画撮影。この動画が発信され、闇に包まれた軍事政権下の実態を世界中が知ることになった。
ドイツ人記者を乗せ、裏道を山越え、光州へ案内した個人タクシー運転手。ソウル在。貧困に喘ぐ父子家庭。当初は高額料金が目的だったが、次第に学生たちに感銘。若者の志を知るにつれ、心が変化してゆく。ドイツ人記者の命がけの報道が高く評価され、数々の賞を得る。20年後、再びソウルを訪問。苦労を共にしたヒト(個人タクシー運停手)を探すが、消息不明。ついに再会することはなかった。感動的なエンディングでした。
光州事件の頃、北からの脅威がピーク。兵隊が市民を射殺。情け容赦ない。半世紀前の韓国の状況が解ります。そして、映画の中での韓国人。感情のブレ。情け深さ。今の韓国人も情けがあります。
消息不明のタクシー運転者。ドイツ人記者に渡したメモ書きは偽名。住所もデタラメ。後日、政府に知れたら面倒(殺される)と思ったからでしょう。金浦空港での別れのシーン。「必ずまた会おう」と約束。“See you again”とぎこちないカタコト英語で答える。この映画は大ビットしたので彼も何処かで観たかもしれない。が、名乗り出なかった。生きていたら80代。どこで何をしているのか…。余韻を残すイイ映画でした。
3ヶ月ぶりにプールへ。泳ぎました。スッキリです。
さて、この写真。こんな風景は日本では見なくなりました。私が高校の時、沼の一部を区切り、ロープを張り、スタート台まで木造で作ったプールがありました。