人間という生き物は、どんな人であっても、ある面では殆ど違いがない。逆に同じ人間でありながら、これほどまで違うのかと思うこともよくあります。だからこそ、人にとって、わずかですが日々の生活の違いや考え方の違いが大きな意味をもってくるのでしょう。
わずかな考え方の違いでその後の生き方が変わる。その例としてよく引き合いに出されるのが『コップの水』です。コップに入っている半分の水を観て、どのように考えるか。「もうコップに半分しかなくなってしまった」と考える人がいる。逆に「まだコップに半分もある」と考える人がいる。どちらが良いと言うわけではないのですが、この見方や思考のわずかな違いに大きな差が生じる。前者は悲観的ですが、状況によっては、その方がプラスに働くことがあるでしょう。後者は楽観的です。何かにチャレンジする時はプラスです。わずかな頭の使い方ですが、その持つ意味や価値には差が生じてきます。
過去400年間に例のない大震災。宮城の三陸海岸が5Mもずれ、20cmも下がった。自然の巨大な力が加わった。最高15Mの津波。加えて、福島の原発事故。世界中が放射能被害を心配しています。被害規模は阪神淡路の5倍強。復興には10兆円が必要とのこと。失った人命も生き残った人々もその悲惨さと甚大さに言葉がありません。起こったことは事実として受け入れざろう得ません。数日前から救済⇒復興へとステージが変わり出してます。悲観論的な見方や考え方では今後は一歩も前へ進みません。「まだコップの水は半分ある」と考え、それを糧に立ち上がる。いま私たち一人ひとりに求められているのは、その決意と行動ではないかと強く思います。
まずは身近なところから始めましょう。例えば、電気・水・ガス・ガソリンなど日常生活に密着したエネルギーのムダを省く。贅沢に慣れたライフスタイルを見直す。”風評被害”に惑わされず、買い溜めや買い控えをしない。元気を出して明るく振舞う。身近なこと、出来ることから、日本の復興に役立つことを始めましょう。
明治・大正・昭和と激動の100年を生き抜いてきた日本人です。チャイナ・ロシア・アメリカ、世界三強の大国を相手に絶対絶命の戦いに挑んだ世界唯一の小国ニッポン。私たち祖先の境遇を思えば、戦後最大の国難の危機であってもキット立ち上がれるはずです。頑張りましょう。まだコップの水は半分あるのですから・・・。
AD研究所 今野 純
あの日から2週間。被災地にいる方々を思うと胸が引き裂かれる想いです。
あの日あの時、私は甲府から立川へ戻る途中で車中にいました。それも多数のメンバーさん(高齢者)を引き連れてです。運行停止。車中に19時間いました。多摩の自宅へ戻ったのは翌日午後でした。車中は情報が殆どなく、携帯も間も無く充電切れ。外部との連絡が取れず、散々でした。帰宅後、TVを観て、いま何が起きているのかを知りました。恐ろしい壮絶な映像ばかりで言葉を失いました。
甚大な被害を受けた三陸地方は実は母方の里です。特に気仙沼や大船渡には大勢知り合いがいます。毎年、地元へ呼ばれ、講習会を開催していました。親戚や知人の中には未だ安否不明なヒトがいます。計画停電の合間、TV映像の観ると正直居ても立ってもいられません。泣くばかりです。
しかし、嘆き悲しむだけではダメだ。そう決意し、強い気持ちを持ってレッスンを再開しました。健康で元気な体があればそのうち何かできる。前を見て立ち上がり、一歩前へ踏み出す。皆さん、力を合わせ、頑張りましょう。
アオキファミリー 青木美樹
[代筆投稿:アクアダイナミックス研究所]